リアルゲーム
6月1日、長崎県佐世保市の大久保小学校で、
小学6年生の女の子が、
同級生の女児からカッターで首を切りつけられ、
死亡した事件があった。
そして、今日、加害者の女児の供述から、
もう1人の友人と3人で開いたチャット用ホームページへの
書き込みの内容をめぐってのトラブルが原因で、
最初から殺すつもりでカッターを用意し呼び出して殺した
という計画的犯行であることが判明した。
今回の件で、
小学校教育にも普及し始めたパソコン、
そしてインターネットが犯行の原因・元凶であるとして、
各地の小学校で禁止する動きが出てくるだろう。
父母からの要望や、小学校側の自粛など、
日本の国民性なのだろうか、
周りが右向けば右、
周りが左向けば左、
また、いつものことだ。
物事の本質を見極めず、
表面的な事だけを見て対処しようとする。
だが、考えても見て欲しい。
口げんかしたから、気に食わないから殺す!
という短絡的発想は、
人の命の重みへの軽視・無知によるものであり、
インターネットやチャットの利用とは無関係だ。
むしろ、関係があるとすれば、
テレビゲームの影響の方が強いだろう。
ゲームの中で敵をいくら殺しても誰からも責められない。
殺すことの実感すら無い。
今のような核家族が多い時代では、
子供が命の大切さを学ぶ機会は、
ほとんどない。
祖母や祖父と同居しなければ、
身近な人が死ぬことはまず無いからだ。
犬や猫などペットを飼えば、
多少は命の重さも実感するかもしれないが、
それでも、人の死から学べるものには及ばない。
以前からよく考えることなのだが、
テレビゲームに、
敵から傷付けられれば痛みを感じ、
万一殺されれば、
耐えられないほどの激痛を感じる
という機能の設置を法律で義務付ける
というのはどうだろう?
テレビゲームを人間教育に利用するのだ。
しかも、肉体的感覚を用いた実践ゲーム。
そうすれば、
ナイフで切りつけたり、切り付けられたりすれば、
「痛い」「苦しい」ということがわかるだろう。
そして、
殺されるほどの痛みはどれほどのものか、
人の命がいかに重いものであるか、
ゲームを通じて学ぶことができるだろう。
もっとも、
殺す殺される、やるかやられるか
という本物のようなスリル感を味わいたくて、
「リアルゲーム」に夢中になり殺到する子供達
が逆に増えそうな気もするが。。。
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流音弥
2004年6月2日







