非情階段
---------------------------------------------------
確かに、私は痛みをこらえながらも、
ゆっくりとなら、2足で歩くことができる。
だが、それは、水平に歩く場合だけである。
アパートの階段を上り下りするのは
到底不可能のように思えた。
そう、私の部屋は、アパートの2階にあったのだ。
だが、やってみなければ分からない。
とにかく、やってみることにしよう。
アパートの階段を下りる際、
端に設置してある手すりを掴むことにした。
そう言えば、階段の手すりを掴むなんて、
今回が初めてのような気がする。
手すりがあったことさえ初めて気が付いた。
だが、手すりの重要性を思い知ることになる。
手すりを掴みながら階段を下りると、
案外と、いや、かなり楽なのだ。
手すりを掴むことで、倒れる心配が無くなる。
それによって、バランスをとろうとして、
不必要な力を使わずに済む。
そう、手すりは老人の為だけにあるのではなく、
体が不自由な人にとっても役に立つものだということを
初めて感じた。
もし、階段に手すりが無ければ、
私は松葉杖無しでは、階段を下りることさえできなかった。
なお、手すりを掴む場合は、
できるだけ自分の利き手が好ましい。
利き手の方が掴む力が強いだけでなく、
体のバランスが崩れた時など
とっさの時に対応する反射速度が速いからである。
だから、階段の手すりは常に両端に存在しているべきなのだ。
もし、片側しかなければ、上り又は下りの際に、
利き手でない方の手で手すりを掴まなければならないからだ。
最近は、バリアフリーの啓蒙などにより、
駅などでも手すりがあるところが増えてきているが、
未だに
手すりが無い階段、
片側しか手すりが無い階段
が存在する。
そして私は、これらの
障害者に対して情け容赦無い仕打ちをする階段を
「非情階段」と呼んでいる。
いや、よく考えてみれば、
階段に手すりがついているかどうか以前に、
エレベーターやエスカレーターが設置されていない為、、
障害者が階段を使わざるを得ないこと
自体が、障害者に対して、「非常」に「非情」なことなのだ。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
流音弥
2002年3月24日







